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2016年1月26日 火曜日配信  文 スタッフ-matsumoto

飛べ!新時代の飛行機「MRJ」!-世間をにぎわせる、国産旅客機


コラム MRJ 機械の転職
2015年11月11日、初飛行を行った国産の小型ジェット旅客機
「三菱リージョナルジェット(MRJ)」。
日本航空業界の悲願ともいわれたMRJは、幾度もの困難を越えて、
ようやく空へと飛び立ちました。
MRJを開発中の三菱重工業と子会社の三菱航空機は、2008年の開発着手から7年を経て、
MRJの実用化への 大きなステップを踏み出しました。

しかし初飛行から約1か月後には、主翼の強度不足のため 4度目となる納期延期を発表し、
心配の声もあがっています。
三菱重工は現時点での受注キャンセルはないとして、
最初に発注したANAから予定通り運行を開始するようです。
その後、大半はアメリカでの運行が予定されていますが、 最近ではJALからの発注もあるようです。

今後大注目のMRJですが、実は前身となる飛行機が存在します。
1960年代に開発されたプロペラ機の「YS-11」です。
飛行機の製造を禁じられた戦後の日本は、その後初の国産旅客機「YS-11」 を作り、
次世代の旅客機MRJの開発につながったのです。

■敗戦国となった日本、その後の飛行機製造技術
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戦時中の日本は、「零戦」をはじめとする非常に技術の高い飛行機製造能力を 持っていました。
しかし戦後の日本は、製造、教育、研究など、飛行機に関する すべてを禁じられてしまいます。
戦時中飛行機の製造にかかわっていた人たちは、
戦後は自動車や鉄道の 製造分野へ活躍の場を移したようです。
そのため戦時中の飛行機産業で培われた技術が、
現代の日本の 自動車産業や鉄道産業でも形を変えて活用されています。

■日本の飛行機産業復活
コラム MRJ 機械の転職
1952年に日本が正式に独立すると、日本の航空機産業が再開されはじめます。
そして国産の飛行機を作ろうという声が高まり、1957年には「YS-11」の設計が始まります。
戦時中のノウハウが組み込まれて開発された「YS-11」は、 1962年に初飛行を行い、
その後長い間日本の空を飛び続けました。
この経験が海外からも評価され、飛行機の構造製造の受注につながります。
そして日本は最新の「ボーイング787」では、35%の機体構造を担うまでになります。

■YS-11の生まれ変わりともいえるMRJ
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MRJは、民間企業主導で開発が行われているため、
戦後の日本の「ものづくり」の技術が活かされています。
また、YS-11を使い続けてきた国内航空会社の技術者たちが、
MRJの開発に参加しているため、戦前からの飛行機のノウハウも継承されています。
MRJが成功すれば、今後の飛行機産業のさらなる発展が期待されます。
自動車産業と同様に、将来の日本を支える一大産業となっていってほしいですね。








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